カフェのコーヒー。S(小)が300円、L(大)が500円。どちらにするか少し迷います。そこにもう一つ、M(中)480円が並んだとたん――「Lのほうが、たった20円差でずっと量が多い。Lだな」と、すっと手が伸びる。実はこのM、ほとんど誰も注文しません。なのに、置いてあるだけで、あなたの選択を動かしている。
選ばれもしない選択肢が、なぜ他の商品を“売れる”ようにするのか? その一つを足すか足さないかで、人の選択は本当に変わるのか?
「自分はコスパで冷静に選んでいる」——多くの人はそう思っています。けれどこの現象は、半世紀近く前に、ビールや車を題材にした実験で、くっきりと証明されました。それも、ただの一例ではありません。
PART 2 / この研究は、何を解こうとしたか当時の経済学には、当然とされる大前提がありました。「選択肢を1つ増やしても、すでにある選択肢の“人気”が上がることはない」。これを「正則性(レギュラリティ)」と呼びます。常識的です。新しいメニューが増えて、なぜか別の既存メニューの売上が伸びる――そんなことは、起きないはずでした。
ところが、消費者の選び方を見ていた研究者たちは、この前提を疑います。「あえて“ある特定の形で負けている選択肢”を足したら、特定の商品の人気が上がるのではないか?」。これを実験で確かめようとしたのが、デューク大学のジョエル・ヒューバーらでした。
PART 3 / 実験を、ていねいに今日参考にするのは、ジョエル・ヒューバー、ジョン・ペイン、クリストファー・プート が行った
『非対称に劣る選択肢を加える:正則性と類似性仮説の破れ』(1982年)という論文です。
まず、「非対称に劣る“おとり”」とは何か
カギになるのが、「非対称に劣る(asymmetrically dominated)」という、少し聞き慣れない言葉です。ていねいに分解します。まず、商品を2つの軸(たとえば「価格」と「品質」)で考えます。そして、本命にしたい商品をターゲット、それと張り合うもう一方を競合と呼びます。
ここに足す“おとり”は、こういう性質を持たせます。ターゲットには、はっきり負けている。でも、競合には負けていない(別の軸で勝っている)。つまり「ターゲットにだけ、明確に見劣りする」存在。だから誰も選びません。でも、その“ダメさ”が一方向(ターゲット限定)であることが、効くのです。
同じ「価格×品質」で並ぶ、ターゲット・競合・おとり。
※これは構造を示すイメージです。実際の実験は、車・レストラン・ビール・宝くじ・映画・テレビの6ジャンルで、価格や品質などの数値を細かく設定して行われました。
さて、実験開始あなたが、被験者だったら
あなたは机に向かい、いくつかの選択課題を渡されます。たとえばビール。「A:1本あたり安いが、品質評価はほどほど」「B:少し高いが、品質評価は高い」。さあ、どちらを買いますか? 価格を取るか、質を取るか。人によって好みは割れ、票はAとBにだいたい分かれます。
次のグループには、同じAとBに加えて、もう1本Cを見せます。Cは「Bと同じくらい高いのに、品質はBより落ちる」ビール。誰がどう見ても、Bを選んだほうが得です。あなたはCなんて、まず選びません。——でも、Cと見比べた瞬間、Bが急に「賢い選択」に見えてくる。気づけば、さっきより多くの人がBに手を伸ばしていました。
研究者は、この「Cを足す前」と「足した後」で、ターゲット(B)を選んだ割合がどう動くかを、6つのジャンルすべてで測りました。常識(正則性)が正しければ、選択肢が増えてもBの人気は上がらないはず。結果は——。
結果:おとりを足すと、本命の人気はどう動いたか。
おとりを加えると、本命(ターゲット)の選択シェアは
平均 +9.2ポイント 上昇した。
しかもこれは、まぐれや一部の例外ではありません。車・レストラン・ビール・宝くじ・映画・テレビ――試した6ジャンルすべてで、本命のシェアが上がりました。「選択肢を増やしても既存商品の人気は上がらない」という経済学の大前提(正則性)は、こうして破られたのです。
人は「絶対」で選べない。だから「比べやすい相手」を探す
ここがこの記事の核心です。なぜ、誰も選ばないおとりが、本命を押し上げるのか。理由は一つではなく、いくつかの心理が重なっています。
① 人は“単独の価値”を測るのが、とても苦手。 「このビールは、品質に対してこの価格で妥当か?」を絶対的に判断するのは難しい。だから人は、手っ取り早く「目の前のもの同士を比べる」という近道を使います。評価は、いつも相対的なのです。
② “はっきり勝てる相手”がいると、その商品が輝く。 おとりCは、ターゲットBに「明確に・一方的に」負けています。この分かりやすい優劣は、判断に自信をくれます。「Bは、少なくともCより断然いい」。この“勝った感”が、Bを選ぶ理由(言い訳)になります。人は、自分の選択を正当化できる理由を欲しがるからです。
③ おとりが「比較の土俵」をすり替える。 AとBだけなら、争点は「安さ vs 質」という、決着のつかない対立でした。ところがCが入ると、土俵が「BとC、どちらが得か」に移る。この土俵ではBの圧勝。勝ちやすい土俵に、そっと議論を移してあげる――これがおとりの正体です。
ひとことで言うと――
人は「良いものを選ぶ」のではなく、「はっきり勝っているものを選ぶ」。だから、本命を“はっきり勝たせてくれる比較相手”を、選択肢の中に用意してあげると、本命は選ばれやすくなる。
強力な現象ですが、万能ではありません。正直に押さえておきます。
・現実の複雑な選択では、弱まることがある。 きれいに2軸で整理された選択肢では強く出ますが、属性が多い・情報が曖昧な現実の買い物では、効果が小さくなるとの報告もあります(Frederick ほか)。
・あくまで“正当な比較”の範囲で。 おとりは「本命を理解しやすくする補助線」であって、客をだます道具ではありません。実在しない価格や、誇張したスペックでおとりを作れば、それは景品表示の問題であり、信頼を失います。
・中身が伴わなければ続かない。 おとりで一度は選ばせても、本命の体験が伴わなければリピートはありません。おとりは“良い本命”を選びやすくする装置です。
PART 6 / マーケティング・PRへの活用これを、価格・メニュー・提案にどう効かせるか
本命の隣に“かませ”
売りたいプランの近くに、わざと見劣りする上位寄りの選択肢を置く。本命が「お得」に見える土俵を作る。
3つで比べさせる
2択で迷わせず、本命を引き立てる第3案を添える。サイズ・容量・機能の“あえて弱い”一つ。
比較の土俵を作る
本命だけを推さず、本命がはっきり勝つ比較相手を同じ表に並べる。相手が自分で「本命が得」と気づく。
イベントやサービスのプラン設計でも同じです。チケットの券種、協賛メニュー、見積もりの松竹梅――「本命を、はっきり勝たせてくれる比較相手」を一つ用意する。煽りでも誇張でもなく、相手が納得して選べる“補助線”を引く。それが、おとり効果の正しい使い方です。そして忘れてはいけないのは、選ばせたあとに本命の中身で応えること。比較で選ばれ、体験で満たす――この両輪が揃って、はじめて信頼につながります。